Event
Mobile tea house events Automne 2018
日日是好茶
〜しあわせな日常茶飯事〜
祖父母の家の裏庭にチャの低木が植えられていて、GWに遊びに行くと新芽の二葉を摘み取らせてくれました。
蒸して柔らかくなった茶葉を両手に挟んで揉んでいると、少しずつ水分が出て若い黄緑色はどんどん濃くなり、
ほわっと青っぽい匂いが立ち上がります。よれた茶葉を大きな竹の平ザルに乗せ天日でしっかり乾かしたら、
まず生茶で淹れて、残りの茶葉は祖母が「根気の要るこの作業は年寄りのしごと」と言いながらのんびりと焙
じるのです。何とも言えない香ばしいその焙じ香は前庭や門の辺りまで満たしていきました。
幼い頃の、お茶と私の原風景です。
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私は茶道を嗜む祖母から注意を受けることの多い子どもでした。食後にお皿を重ねて持とうとすると「お茶式
よ、お茶式」。玄関先で立ったままお客さまを迎えると「膝をついて」…。正直、めんどくさ、と思っていま
した。家族みんなコーヒー党の我が家でひとりだけミルクティーを飲んでいた私の関心は次第に茶器にも。高
校卒業後の春休み、紅茶専門店で初めて得たバイト代で、ある作家さんの個展で目に留まった器を迷いに迷った末、ひとつ買いました。大人になった気分で。両手に包んだ粉引の柔らかな白乳色と、ディンブラ茶の水色の美しさに見惚れていた時、ふと思い至ることが。それは、子供の頃うっとうしく感じていたあの数々の忠告や注意は、「モノ」を大切に扱う習慣や礼節の心を養おうとしてくれるものだったということ。雑な性格は治りそうもないけれど、あの粉引の器が今も健在なのはもしかするとその恩恵なのかも、と思うのです。
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学生時代にかじった茶道を自分の家庭を持つようになってからとびとびに再開し、お点前や作法はこの際さておき、抹茶が特別な意味を持つお茶になりました。インドを旅した時、路上チャイ屋さんに座り込んでオヤジさんから作り方を学び、試行錯誤しながらようやく自分の味わいを感じられるようになった頃には飲み過ぎのためか深夜に動悸がし始め、卒論を作成する手が震え出したことも。軽いカフェイン中毒だったのでしょう。英国では田舎のコテージやホテルのアフタヌーンティーを満喫、スペイン留学中はオリーブオイル過剰摂取にハーブティーが功を奏すことを何度も実感しました。思い返せば何とも幸いなお茶の記憶です。
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転機となったのはスイスのカフェでした。メニューに「Thé vert(緑茶)」を見つけ早速注文したのですが、出てきたのはティーバッグの入った熱々の大きなマグカップにお砂糖とクリーム。それから数度、様々な場所で「Thé vert」を注文してみましたが、お茶専門店以外のカフェやビストロではどこも同じような扱いです。この体験が徐々に私を日本茶回帰へ導いてくれました。スイスの人々にもおいしくて体に良い日本茶を識ってもらいたい、という淡い使命感のようなものだったのかも知れません。それからずいぶん月日が流れてしまいましたが、数年前から本格的に始めた日本茶の学びはやがてkotonochaワークショップにつながっていきました。
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ぶどう畑の隣に住みながら、ワインもコーヒーも飲めない私の暮らしは相変わらず「日日是好茶」。好きなお茶
や器に向かう時間は愛しく、しみじみと感謝の気持ちがわいてきます。日本茶アドバイザー、日本茶親善大使として認定してくださった日本茶インストラクター協会さん、アトリエに来てくださる方々、笑い合いながらお茶の時間を一緒に過ごしてくれる友達のみんな、私のお茶愛に付き合ってくれている家族、そして、春夏秋冬、情熱を込め手間をかけておいしいお茶作りに励んでおられる茶農家さま、心からありがとうございます。
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一服一煎のお茶が教えてくれるのは、日々繰り返される「日常茶飯事」が決して当たり前でなく、かけがえの
ない宝物のような時間だということ。充分重ねたのはトシぐらいで、相変わらず間違えたりしくじったりばか
りの人生だけど、このことを軽んじず感謝の気持ちを持ち続けられたなら、私にしては上出来だと思うのです。
私たちの美味しい日常茶飯事がずっと続きますように!